かたじけない



お世話になっております。大阪出張所の田坂でございます。

平成も25年となりますと、昭和生まれというだけで、そろそろ身体のあちこちに不調が目立ち始めるお年頃となり、あるいは物理的に、血のサラサラ感が足りないことを感じることも少なくありません。

あれはまだ、お正月気分が抜けきらない、とある三連休での出来事でございました。

しばらくの間、正座をしていると、足がしびれるなどということはよくある話でございます。

むしろ若者であるがこそ、再び立ち上がったその瞬間、存分に標準装備された臀部のクッションにより行く手を遮られた、ほとばしる熱いパトスのざわめきを、下肢全体に感じるのでしょう。

しかしながらワタクシの場合、ものの20分ほど、電車の座席に腰掛けていただけで、このような現象が起きてしまったのでございます。

迫り来る、下車予定駅。市都、襲来。どうにかして立ち上がらねば、新快速という名のマクガイバーは、ワタクシをそのまま、ふりがなが必要な駅に連れ去ってしまいます。

とにかく立ち上がること。あとはcos60ºの傾きで、ベクトルの赴くがままにまかせればいい。そうすれば、見えない力が糸を引き、駅のベンチまでのわずかな道のりを乗り越えて、あたかも乗り換え待ちの人を装い、ごく自然に、しびれがおさまるのを待てるというものでございます。

そのような次第で、なるべく起立を維持する時間を短縮すべく、ギリギリまでタイミングを見計らっておりました。

そして、ここぞという瞬間にロケットスタンディング。ワタクシが南波六太の縁者なら、感涙にむせび泣いたはずの、それはそれは、立派な起立っぷりでございました。

しかし、ご承知のとおり、現在の科学力では、足がしびれたままの人間を、確実に歩行させる技術は未だ確立されておりません。

まして、お正月気分が抜けきらない、とある三連休のことでございます。目指すベンチは手が届きそうなのに、立ちふさがるのは、 一週間ほど掃除をしていない お風呂の排水溝のごとく、流れの悪い出入り口。さきほどまでワタクシの背中を押していた斜め45ºのベクトルは、これ以上はワタクシの理解を超える物理学的な暴力へと変貌し、ワタクシの自由にならない足を無慈悲にもつれさせ、そのまま転倒させてしまったのでございます。

どよめく乗客。

とっさに抱き起こそうとしてくださる好青年(リュックとネルシャツがなかったと仮定しての場合)。そしてそのまま、「人が倒れました!駅員さんをお願いします!」とごく的確で冷静なご対応。

集まる人だかり。

掛けてくる駅員さん。

ああ、ワタクシは、こんなに多くの人たちに囲まれて……。

いやいや、

ただ、足がしびれただけなのでございます。

「だいじょうぶです、だいじょうぶです」とお答えするものの、ワタクシは、そのまま担架に乗せられて救護室へ。やりきった感いっぱいの好青年(リュックとネルシャツがなかったと仮定しての場合)から立ち上る興奮の湯気は徐々に遠ざかり、さながら「のろし」のようにも見えたのでございました。