あのころの日常

こう見えて田坂、高校時代はバンドを組もうと志したことがありました。
当時、すでに旬を通り過ぎて、解体セールの最中にあったプリンセス・プリンセスあたりを華麗にコピーすれば、学園祭経由でモテるに違いない。そんな若々しい動機にぐいぐい尽き動かされるまま、少ない小遣いをやりくりして機材をそろえていたものです。まだ高かったCDプレイヤーとか、レンタルレコード店「麗光堂(れいこうどう)」の会員証とか。

まあ、部屋ん中でガンガン歌ってましたね。ぶっちゃけ、結構似てたと思いますよ。今でも、カラオケの機会があれば、MP3クオリティでやれますね。最後にカラオケへ行ったのは、旧世紀の出来事ですが。友達、いませんから。

しかし残念ながら、田坂のデビューは、幻と消えてしまっていることは、ザ・ベストテン世代の皆さまには周知のことと存じます。気になるその理由(「わけ」と読む)は、第一に、演奏楽器がピアニカでは、ボーカルを兼任できないこと、第二に、メンバーになってくれる友人がいなかったことです。夢はいつも、あと一歩というところで届かないものなのですね。

ちなみに当の学園祭、田坂、実際には「新喜劇・オリエント急行殺人事件」なる無茶ぶり甚だしい出し物の脚本におさまっていました。総監督兼務の権力をぶんぶん振り回し、体育館内で火を使う演出をするなど、現在の田坂的始末書人生の淵源は、このころにさかのぼるわけでございます。

もしここで、田坂がなおも、音楽へのたゆまざる情熱を、青春という名のエナジーで煌々と燃やし続けていたならば。おそらく今ごろ、「けいおん見てたら、高校のころを思い出すわー」などと吹聴して回っていたに違いありません。そう思うと、今の人生もアリでしょう。あぶないところでした。

思うに、高校時代なるものは、大学時代よりも、もっと弾けてよいのではないかと。さながら、レンジでチンする「ゆでたまご」のように。田坂のステディは、大学生のころ、かじると爆発する「それ」の製造に成功したのですが、今となっては、「あれは、人が創ってはイケナイものなのだよ…」という感想しか出ないそうです。そんな富野ワールド的なものなのかと、かえって興味をそそられます。

いや、田坂が申し上げたいのはそんなことではなく。近ごろは高校生を「ゆるく」描きすぎなのではないか、ということなのです。

「卒業…しないでよ」とか、ございますか?ていうか、ございましたか?田坂には、ナノイー除菌レベルでナッシブルでございましたよ。むしろ、「卒業…したら切れる縁だよね」ではございませぬか、上様っ!

先日、ステディのすすめで読み始めた「男子高校生の日常」という作品がありまして。それはもう、「私立T女子学園」以来の衝撃でした。4巻ぐらい、既刊となっているようですが、大人買い必至です。大人が買うようなものではありませんが。

美化されない「あのころ」のリフレイン、フィクションは時に、日記を超えます。